トップページ > 神戸の歴史
山と海に囲まれ、それぞれの恩恵に恵まれた街・神戸。瀬戸内の温暖な気候と交通の要衝としての優れた立地を生かして古くより港町としての優位を確立してきました。
1853年、ペリーが日本に開国をせまるまで鎖国を国是としておりましたが、黒船の来航により現在の兵庫県にある港も開港し、世界に門戸をひらくこととなりました。
中世において、現在の神戸市は、摂津国および播磨国にまたがっておりました。
当時の首都であった京都と瀬戸内海をつなぐ海運業の重要な場所でした。
交通の要衝としての神戸にいち早く目をつけ、平安時代の終わりごろ平清盛は神戸の港のひとつ大輪田の泊の改修にとりかかります。大輪田の泊を拠点に清盛は宋(当時の中国の王朝)と貿易を開始します。当時時代の中心であった京都から福原に一時的に遷都されたこともありました。
人と物が行き交う重要な交通のポイントであったことから神戸の地は軍事においても重大な拠点とされ、南北朝時代の1336年、北朝軍が楠正成を破った湊川の戦いの舞台ともなりました。
古くから神戸は海と平地をつなぐ港町として栄えてきました。東に天下の台所大阪があり、自身は西国街道のいち宿場として東西をつなぐ拠点となっておりました。
黒船の来航により日米修好通商条約が1858年締結され、神戸は1868年開港します。
黒船の来航により日米修好通商条約が1858年締結され、神戸は1868年開港します。
開港後、神戸には外国人居留地が造られ、ヨーロッパ・アメリカの生活文化が様々に持ち込まれました。文明開化の影響も受けやすく、国際都市として先んじて発展していきます。
明治時代に入り輸入港として進歩を重ねる神戸で、更地であった地域は居留地として利用され、欧米の文化ががどの地域よりも先駆けて取り入れられていきました。
欧米の文化を取り入れる窓口として海外からの輸入を通して、神戸の街には人々の一般生活にも洋風な空気が取り入れられていきました。